2015年1月27日火曜日

あおもりコラム:青森県恥事室「BLUE vol.3」



こんにちは。青森県恥事のタムラヨイチです。
先日、1月25日(日)にリンクステーションホール青森@青森市で行われました、
新体操舞台「BLUE vol.3」を観劇に行ってきました。

今月、私と旧知の友:サカモトくんと企画した、泣けるくらいにバカバカしい新年会。
そこでお知り合いになった青森山田高校男子新体操部監督の荒川栄さん。
その荒川さんからこのBLUEの魅力を熱意たっぷりに伝えられ、これは観に行かねばと奮い立った次第でした。

ワガママな生き方をしているので、私の年収は40万円ほど。
それゆえにお金の遣い方は常に慎重です。

私がお金を遣おうとするときに自らに問いかけるポイントが3つあります。


  • 一企業/一団体の利益を越えた社会・地域・未来貢献が見込めるかどうか
  • 私自身の創作性を越えていると見込めるものかどうか
  • そこに良縁を感じるかどうか


以上の3点を満たしているときに私の財布は気持ち良く開かれます。
今回、S席のチケット(前売券 ¥5,500)を購入しました。

素晴らしい内容でした。

- - -

天照大神が隠れた岩戸前。
そこで様々な芸が披露されてからどれくらい経ったのでしょう。
昨今では至るところに「エンターテインメント」が存在しています。

それは時代と共にカタチを変え、今となっては端末を使って、好きなときに、好きな場所で、数十億円もの制作費をかけた映画を見れるまでになりました。
どんなに壮大なものもLEDのバックライトに、大抵16:9の画面比率で1,920×1,080=2,073,600ものドットでパッケージングされているわけです。
おそらくこの技術仕様も数値も今後、より「高度」に進化していくのでしょう。

2時間の演目。
舞台に足を運んで観ても、家で横になりながら端末で観ても、それは同じ2時間。
舞台まで足を運ぶとすれば、身だしなみを整え、そこから劇場に移動し、入り口に並ばなければいけないので、2時間の演目を観るのに3〜4時間かかってしまうこともあるでしょう。
端末で観るなら、髪がボサボサでも、パジャマ姿でもいいですし、交通費、待ち時間もありません。

何かと時間に追われる現代。
前者は時間のムダだと、後者を選ぶ人は多いことでしょう。

しかし、どちらを選択するにせよ、心に留めておいて欲しいことがあります。

iPadに映し出された画面にジョニー・デップはいないのです。
それはジョニーをかたどった無数のドットがLEDバックライトで映し出されたものです。
ファミコンのスーパーマリオの解像度が上がったとすれば、ダンディなサロペット親父がキレイに映し出されて、実在はしないのですがあたかも存在しているように思い込んでしまうかもしれません。
つまり、そういう世界をいくら検索をかけたところでBLUEは存在していないのです。
そこでヒットして出てくる画像/動画は、BLUEの過去を表したドットの集合です。
例えそれが生放送だったとしても現実とは2秒の遅延が生じていますし(地デジになってそういう弊害もでました)、もっと言えば、それは撮影者の眼を通して見たものであって、あなた自身の眼で見たものではありません。

壮大な世界観で描かれるSF映画。
現代のCG技術を持ってすれば、力学的に無理があっても人が空を悠々と飛び、信じられないほどの天変地異が巻き起こり、観る人を魅了します。
しかし、それはドット編集による虚構です。
もちろん観る人の多くはその虚構を分かった上で楽しんでいます。
そういう意味で「虚構」のエンターテインメントと言えます。



私も僭越ながら肉体活動を表現して生きています。
目の前から勢い良く拍手が聞えると嬉しくなります。
それは舞台で肉体を燃やした演者に対して、お客が両手の平を何度も衝突させてくれている音です。
肉体に対する肉体の応えとも言えるそれは空が割れるほどの音に感じることもあります。

これが例えばFacebookになると「いいね!」というボタンに変わり、数値化され、それがLEDのバックライトで照らされます。
私はこれがとても寂しいと感じますので、自身の表現活動の様子をあまりWEBにアップロードしません。
現実に存在しているものを、わざわざ虚構化したくないのです。
…とは言ってもPRはしなければなりませんのでその一部を虚構化(情報媒体化)させることもしばしば。

私が現実に存在するためには、やはり現実を捉えにいかなければいけません。
逆に現実を捉えるためには、私自身が現実に存在していなければなりません。
これは演者と観客の関係にも似ています。



BLUEは紛れも無い「現実」のエンターテインメントです。

慣れ親しんだ端末は、電源を切るか、マナーモードに。
チケットの記載番号と同じ番号が刻まれたイスに座り、幕が上がるのを待ちましょう。
あなたの眼はきっと素晴らしい現実をそこで捉えてくれるはずです。

「高度」な文明進化には目もくれず、ただひたすらに己の肉体で「高く」飛ぼうとしている新体操の世界があります。

際限なく、速く、高く、美しく、大きくなることができるドットの世界とは違い、人が備える肉体の境地をBLUEは「現実」に体現しています。

それが今月1月24・25日の2日間、全3公演、青森市で行われました。
今回の演目はもう、いつどこに行こうが観ることは叶いません。
そしてこのことが紛れも無い現実です。

- - -

BLUEの公演は年に一度のみ。
選手がオフの真冬に行われます。


 山里(やまざと)は 冬ぞ寂しさ まさりける
 人目(ひとめ)も草も かれぬと思へば
      百人一首:源宗于朝臣(28番) 『古今集』冬・315


青森の冬、そこでわざわざ舞台をやるという意味。
なぜ「BLUE」と名付けたのかという理由。
今回、観に行けなかった人(特に青森県民)に是非考えて頂きたい、
…と恥ずかしながら思うのです。

青森県恥事:タムラヨイチ