2015年2月27日金曜日
田村余一舞踏休憩所
気が付けば10年以上もこのヘンテコなオドリを続けておりました。
思い起こせば24歳のときに、自殺するように富士山に登って迫り来る死の恐怖に涙しながら決めたことが「おどって生きる」でございました。
それからだいぶ解釈が大きくなり、「おどるように生きる」というように。
色んなことに手を出しては中途半端にそのスキルを手に入れ、おかげさまで私の体や頭の中には忍者道具のようなものがたくさん収納されています。
その道具棚の一番上で、キレイな布に包まれて収納されているのがオドリです。
すべての始まりがこのオドリでしたので、大事にしております。
困ったことにこのオドリ、型が無いので稽古のしようがありません。
おどるときなんて、その場で無防備に立ち尽くし(または座り込み)、自然に体が動くのを待つだけです。
師匠もいない(キッカケとなった御方はいらっしゃいます)ので、これが一体何というオドリなのか、私自身が分かっていません。
ただ、その様子が「舞踏」(ぶとう)というものに何だか近いような気がして、とりあえず外部に分かりやすいようにこの名称をしばらく使わせてもらっています。
10年以上が経った今、何だかこのオドリの理のようなものが分かってきた、…ような気がします。
そしてそれをどうにかして伝えていけないものかと考えました。
型が無いものをどうやって伝えるか。
本来はココロの何かを伝えていくために型を作り、それを伝えていったかと思いますが、この場合はそういうやり方が採れません。
まぁ型がないものですから、その教え方にも型が無いのでしょう。
とりあえずやってみるべしです。
ひとまずこのオドリに興味を示して頂けるよう、これからも精進するほかありません。
このオドリの名称などはもはや意味をなさないような気がするので、このまま舞踏ということにいたします。
超カンタンではありますが、WEBページも作りました。
WEB:田村余一舞踏休憩所