2015年3月25日水曜日

おどるルーツ

どんなものにもルーツやキッカケがあるものでして先日の記事でチラッと書きましたが、私のオドリにもございます。

タイムリーについ先週、そこに無礼にもアポ無しでお邪魔してまいりました。

その日はとある舞台の打ち合わせが青森市であったのですが、1時間ほどで終わり何だかこのまま帰宅するのも勿体ないと思い立って、名刺を頼りに電話をしてみた次第でした。

平日の夕方、「公務する舞踏家」と言われるその方はお仕事からまだ戻っておらず、在宅の奥さまに迎えられ、紅茶を片手に取り留めも無い話をしていました。

15年振りにもなる久しぶりの時間を思い出話などしつつ過ごしていましたら、玄関からガラガラとこの日の公務を終えた福士正一さんが帰宅してきまして、あれよあれよと話し込むうちに呑んで泊めさせて頂くことに。

私、こういった流れは大好きでありまして、ラッキーとばかりにすんなり帰宅を観念してワインで乾杯。
福士さんご夫妻と私、三人の淀むこと無い酒宴が始まったのです。

こうしてご一緒させて頂くのは実に学生時代ぶり。
当時私が通った青森市の大学職員だった福士さんに誘われ、稽古場にお邪魔したのが発端でございました。
そこで焼き鳥など御馳走になりつつ、学生ながら酒を嗜んでおりましたら突如、稽古場の一角がライトで照らされ、CDデッキから音楽が鳴りはじめました。
ついさっきまで一緒に呑んでいた大学職員のオジサンが白塗りをして踊るその姿に、えも言われぬショックを受けた私は何故かそこで号泣したのを覚えております。

それから2年ほどが経ち、私は勝手に人生に悩み、独りで春の富士山に登ることになります。
山岳知識もろくに無いまま、雪の富士に取り憑いた私は案の定、そこで死ぬような目に遭い、八合目の診療所の土間で夜の寒さに震えながらワンワン泣いておりました。
極限状態で脳裏をよぎったのがあのとき稽古場で見た踊り。

「あんなふうに 自由におどれたら どんなにいいだろうか」
「生きてここから帰ったら おどって 生きていこう」

そう思ったチッポケな自分がそこにおりまして、それをすくい取るように朝を迎えたのでした。

実際はそこから紆余曲折ありましたが、勝手ながらオドリというものを自分なりに現して今に至るわけでございます。

年度最後の三月。
聞けば「公務する舞踏家」も今月で終了。
あと1日勤務すれば定年を迎え、「野の舞踏家」になるとおっしゃっていました。

そんな折に、私が向かったのもなんだか数奇なことであります。

この日の夜は酔いに任せて、お互いの踊りを交互に確認しつつ、最後はデュエット。
どこにも気を置かない、幸せなオドリがそこにあったように記憶しています。

15年かけ、この世を周回して戻ってまいりました。

春の芽吹きは再生の季節。
ここでまた生まれ変わったような気分です。

年末ほど取り沙汰されませんが、この年度末。
自身のルーツを確認するのもよいのではないでしょうか。